ある日
夫と二人で石垣島へ行ったときのこと
無農薬でコーヒーを20年以上栽培している東内原さんに出会った
私は無農薬のコーヒー豆を生豆で仕入れ
自ら焙煎して飲んでいるくらい
大のコーヒー好きだ
だから、夫と島内をドライブしている時
「自家栽培・自家焙煎 石垣島産コーヒー」という
看板を目にしてしまった瞬間
入らないわけにはいかなかった
店内に入ると机の上の雑誌の記事が目に入り
読んでいるとそこに映っている人となんだか似ている人が
目の前に!!
もしかしたら、ご本人かも?と思ったその瞬間
そのチャンスを逃すまいと、すぐに話しかけてしまったという^^
生産者の東内原さんに写真撮影の了解をいただき
その上、外へ案内していただき
コーヒーの苗や実などを見せてもらった
東内原さんは沖縄本土で防水・塗装関係の仕事に60歳まで従事し
出身地の石垣島で無農薬コーヒー栽培を20年以上続けている
石垣島で初めてコーヒーを栽培して収穫した人だ
後でゆっくり画像に残した記事を読んで
これがニューワールド1号というコーヒーの赤い実だということがわかった
以下は、雑誌の記事を読みやすくしたもの
いわゆる丸写しというもの〜(汗)
私の文章能力では東内原さんの凄さは伝わらないし
了承いただくために雑誌社やこの記者を探し出すのは不可能?!
かといってこのまま情熱大陸のような番組で放送されるくらいの人
東内原さんのことを知らせないわけにはいかない
また、雑誌の内容も写真撮影オッケーということなので
私のブログに丸写しの許容範囲と思いアップすることにした
ー転載ー
戦前にさかのぼる沖縄コーヒーの歴史
コーヒーの産地で思い浮かぶのはまず、ブラジルなどの中南米諸国
次に原産地でもあるアメリカの国々であろう。
ベトナムやインドネシアもブラジルに次ぐ生産国だ。
ハワイにもコナコーヒーがある。
このように世界でもコーヒー栽培が可能なのは熱帯と亜熱帯に限られる。
コーヒーベルトと呼ばれる北緯約25度から南緯約25度のエリアだ。
北緯24度から27度に広がる沖縄県はコーヒーベルトの北限の地に相当する。
ならば、沖縄でもコーヒー栽培を!と思うのは、むしろ自然の発想だ。
沖縄のコーヒー栽培の歴史は意外と古い。
1920年代に親川仁吉とうい人が、ブラジルから苗を持ち帰り本島北部の名護で
栽培したことが知られている。また、今帰仁村(なきじんそん)で戦前から植えられ
庭木として残っている。
しかし、現在沖縄各地で行われているコーヒー栽培の祖を挙げるなら
和宇慶朝伝(わうけちょうでん)さんだ。
和宇慶さんは中部農林高校の教師だった方でブラジルに移民した兄弟の影響で
コーヒーに関心を抱いた。
そして、自身もブラジルを視察。
譲り受けた種を使い、30年前に具志川(現うるま市)に農園を開いた。
この農園で育った苗がニューワールド1号、ニューワールド2号という品種で
現在沖縄で栽培される苗のほとんどがこの2種だ。
赤い実の1号はムンドノーボ、黄色い実の2号はイエローブルボンと推測される。
その和宇慶さんの教え子である山城武徳さんは、本島中部の恩納村の農園で
沖縄の風土に適したコーヒー栽培方法を確立させた。
また、足立浩志さんは和宇慶さんの苗を北部の農村に植え、
「ヒロ・コーヒーファーム」を開業。
カフェで農園産のコーヒーを提供した。
沖縄でもコーヒー栽培が出来るのをこのカフェで知った人が多いはずだ(現在休業中)
ここ数年で奇しくも相次いで亡くなったこの3人が、沖縄コーヒー史第1期の代表的人物だ。
それではその第2期はどのように刻まれつつあるだろう?
「石垣島産コーヒー」の東内原稔さんは20年以上にわたって無農薬コーヒー栽培を手掛けている。
農園は石垣島の星野村集落から車で約5分、ヒカケヒゴやリュウキュウマツに囲まれた山中にある。
1500坪の傾斜地に約500本のニューワールド1号・2号が植えられている。
訪れた12月、木には赤や黄色の実がついていた。
「食べてみて」という東内原さんの声に、1粒2粒摘んで口に入れる。
この実をコーヒーチェリーと呼ぶがサクランボのように甘酸っぱくまるでフルーツだ。
コーヒーの味や香りはまったくない。
しかし、実の中には見慣れた形の種が2つ。
そう、この種からパーチメントという殻をはずした中身、それがいわゆるコーヒー豆なのだ。
豆は焙煎されてはじめて、あのコーヒーの味と香りを生む。
そして、その焙煎豆を挽いて濾過された液体がコーヒーである。
コーヒーの木を前にすると、あらためてこの手の込んだ嗜好品を発明した先人の知恵に驚く。
年に8回咲く花に魅せられて
東内原さんがコーヒー栽培を始めたきっかけも和宇慶さんだ。
わけあってある日、和宇慶さんの農園を見に行った。
そこで「コーヒーの花は年に8回咲く」という話を耳にした。
東内原さんはこの「8回咲く花」が、幸福への啓示に思えた。
東内原さんは沖縄本土で起業するかたわら、故郷・石垣島に和宇慶さんの苗を植えた。
「健康のため、軽い気持ちで始めた」つもりが次第にのめり込み、
月に10日は石垣島に通って世話をした。
最初に植えたのは新石垣空港近くの平地。
1200本植えたが、すべて枯らしてしまった。
次に植えた苗も台風で全滅。
「友達から笑い者にされ、親戚には金を捨てているのか?と怒られたけれど
逆に負けてたまるか!という気持ちになった」と東内原さん。
そして、失敗を繰り返すことに学び、工夫を重ね、ついに1991年に初収穫に成功する。
できたコーヒーを飲んだ人は「すごいね!」と褒め、自分もやりたいと言う人が続出した。
しかし、東内原さんは「1年や2年で収穫できると思う人は、やめたほうがいい」と言う。
コーヒーは収穫できるまでに苗からでも2〜3年はかかる。
そしてその最初の1〜2年の手入れが大変なのだ。
また沖縄の最大の問題が台風。
コーヒーの木は根が地中深く張らないため風で倒れやすく
潮風に当たると葉がひどく弱る。
東内原さんも台風の風や潮を防げる土地をさがし
やっと今の農園をみつけた。12年前からは石垣島に戻り、コーヒー栽培に専念している。
「今は、コーヒーの木の声が聞こえてくるから、その通り育てているよ」と東内原さんは笑う。
このコーヒーは奥さんの初子さんが星野集落で切り盛りするお店「人魚の里」で飲むことができる。
庭には収穫したばかりの豆が天日に干されていた。
初子さんが丁寧に淹れたコーヒーをいただく。
口に広がる独特のミネラル感は、石垣島の硬水ゆえだろうか?
それとも東内原さんが土壌に混ぜている海藻の効果か?
現在、東内原さんのコーヒーの収穫量は、年間平均1トンほど。
それでも「人魚の里」で出すコーヒーでほぼなくなってしまい、豆を販売する余裕はない。
なので、来年はさらに農園を増やす計画だ。
「必ず八重山の名産品にしますよ!」と、東内原さんは意気込む。
8回咲く花の啓示は、これから幸福の実を結ぼうとしている。
ー転載終了ー
上2枚の画像はIYさんが12月に撮影されたもの
お写真をお借りすることができました!
コーヒーの実の収穫時期は9月〜2月ということなので
私たちが訪れた3月は干している豆の量は
それほど多くなかった
きっと、ひと段落した時だったのだろう
また、お店を訪れた時間がたまたまよかったのかもしれない
こんなタイミングで、ご家族の皆さんにお会いできて
コーヒーもおいしくて最高な気分だった
年間800kg〜1トンの収穫となると
植えられている500本のコーヒーの木から
1本当たり2kgの収穫
そこから果肉部を外して重量が少なくなり
乾燥されて更に少なくなり
脱穀されて更に少なくなり
欠点豆が除去されて更に少なくなり
焙煎によってチャフが除かれ更に少なくなり
1本の木から製品として、いったい何kgの生豆が出来上がるんだろう?
例えば、お米を白米としてお客様へ提供するとき
収穫後→乾燥→もみがらを取り除く→玄米→精白し糠を取り除く→白米(製品)
もっと具体的に数字を使って表現すると
白米10kgの注文を受けると
玄米11kgを精米機にかけにいくのだが
糠が取り除かれた後の白米の重量を量ると9.5kg
12kgの玄米がなんと約2kg減っちゃって約10kgの白米に
目方が2kg少なくなってしまうのは、がびび〜ん(悲)と同じことかな〜???
(便宜上、12kgを精米機にかけることはなく説明して9.5kgの発送にしている)
石垣島産のコーヒーは現地に行った時しか飲むことができないのか?と、思うと
この時、いただいたコーヒーがどれだけ貴重なものだったのかと書きながら
もっとコーヒー豆のことを知りたいと興味が沸いてくるのと同時に
感動が蘇ってきたことは言うまでもない
※パーチメントというのは生豆を保護している内果皮のことで
お米で言うならば、玄米と同じことだと私なりに解釈できた